今頃、そこらかしこで「今年最後の」何かが行われていることでしょう。
僕は例年の如く紅白を見ながら、うとうとしていますね。

大きな古時計」にはやっぱり泣きました。
この歌には、いくつになっても泣かされっぱなしです。
一番最初に泣いたのは、保育所でこの歌を聞いたとき。
家に帰って、祖母に抱きつきながら何度も何度も尋ねました。
「おばあちゃんは居なくならないよね?」

それに対して返された返事はどんなものだったか。
泣きながら尋ねる僕に対して祖母はどう思ったのでしょう。
今では、生に限りがあることを知り、
永遠というものが無いことを知っています。

僕は死を酷く恐れていた子供でした。
別離がとてつもなく恐ろしくて、
永遠に会えなくなるなんて、考えただけで震えがくる、
とても臆病で、怖がりだったのでしょう。
もっとも、それは今でも変わっていません。
理性というレンズによって、その恐怖を目の先から遠ざけているだけ。
根本的には何も変わっていない。
臆病な子供なんです。僕は。

大きな古時計」を聴くと、こんなことをふと考えたりします。
そして自然に涙がこぼれてくる。
自分自身に潜む弱さが次々と露呈するとき、
言い方を変えれば、本当の自分が見えてきたとき、
涙がこぼれます。
そんな自分を嫌だとも思わないし、変えようと思わない。
それが自分という人間なんだと、そう、思います。

来年はどんな年になるのでしょうか。
お世話になった皆様、本当にありがとうございました。
来年も何卒宜しくお願いします。
それでは、来年がよい年であるように心より願って、

「よいお年を」

そう締めくくります。本当にありがとうございました。