小論練習その1

戦争に置いて真の犠牲者は国家ではなく国民である。
という言葉は紛れも無い事実だと私は思う。

湾岸戦争によって数多くの犠牲者が生み出され、
その後遺症に苦しむ人々が今もまだ数多く居る事実は
米のイランに対する報道を見るたびに、私の心を酷く動かす。
―被ばくした悲惨な子供たち。
そんな罪無き人が苦しむ様を見て、現在米がやろうとしていることが正しいことなのか悪しきことなのか
私にとって言うべき言葉は無いが、
子供たちがバタバタと死んでいくという「事実」には贖えそうにも無い。

果たしてそれは正しいことなのだろうか?
本当に米が引き起こそうとしている戦争は正しいことなのだろうか?
その答えにはっきりと答えられない自分がここにいる。
それが間違っていることなのであれば、
どうしてそれを阻止することが出来ないのか。
私にはそれに対する答えがどうしても出せないからだ。

「世界とはそういうものなんだ」

と多くの人は言う。
それに異議を唱えるつもりは毛頭無い。
何故なら私自身、そう思ってしまっているからだ。
しかし、悲惨な「事実」を見て、
多くの人と同じように答えることは私には出来ない。
いや、世界中の誰だって人間としての良心が残っていれば
彼らを目の前にしてそんな言葉を吐けるわけ無いはずだ。

米は―いや、ブッシュ大統領やそれに賛同する人々は
想像力を働かせて欲しい。戦争が起こったらどうなるのか。
いや、働かせるべきなのだ。
第一の犠牲者を出してしまったのなら、
第二の犠牲者は出してはならない。
それが湾岸戦争で傷ついてしまった彼らへの謝罪では無いだろうか。

米がやろうとしていることが正しいことなのかどうかは分からない。
しかし、それが正しいことであっても
新たな犠牲者を生み出そうとしている限り、
私はそれを許すことは出来ない。
そう、私は思うのである。

―792文字
神戸新聞2003年1月26日号正平調より